【悪くないね】「頑張れ」も悪くない【しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~】
しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~
明らかにこれまでのクレしん映画とは違うぞ!ってことを前面に押し出していますね。「映画クレヨンしんちゃん」じゃないですし
正直、3DCGのクレしんというものは不安でした。そもそもしんのすけのデザインを3Dにするのは難しいんじゃないか?と思いましたから。
しかしSTAND BY MEドラえもんにミュウツーの逆襲EVOLUTIONと、3Dにするのが流行ってましたから、遅かれ早かれ来るとは思っていましたけどね。
そんな今作ですが、とりあえず単純な感想を言わせてもらうと
「面白ぇ~~~!」
でした。
ざっくりとしたあらすじ
20と23が並ぶ年に、空から二つの光が降り注ぐ。一つは邪悪な光、もう一つは善良な光。
邪悪な光は悲惨な人生を送って来た30歳の男性「非理谷充(CV:松坂桃李)」に。そしてもう一つはかすかべの野原しんのすけのもとに。二人はその光を受けた瞬間から、超能力に目覚める。
やがて非理谷はその力を使って、未来の無い国に復讐を始める。一方しんのすけはその力を自由に使っていた。
そんなしんのすけの元に、国際エスパー調整委員会の「池袋(CV:鈴木もぐら)」と「深谷(CV:鬼頭明里)」が現れ、やがて暴走する邪悪な超能力者に対抗しなければならないと伝えられる。それと同時に、非理谷はふたば幼稚園で立てこもり事件を引き起こす。そして非理谷の存在を知った、令和転覆団の「ヌスットラダマス二世(CV:水川かたまり)」が彼に接触し……
【ネタバレありの感想】
何よりもこの作品を見終えて思ったのは「懐かしい」という感覚。
よしなが先生が立てこもりをした非理谷の気を引くためにケツだけ星人をするなど、最近のクレしんだったらコンプラ的な問題で忌避しそうな描写も堂々としていた。自分としては、昔に比べて落ち着いているクレしんがこんな非常識なことをしてくれるのはとても嬉しかった。ここも今作の批判点としてよく挙げられているが、個人的には良い所だと思う。
それを始めとして、なんだかマンガ版のクレしんのノリを映像化したような感じでとても良かった。ただ、後半部分はあまりクレしんらしさが無いのでそこはいかがなところ。
そして今作の悪役であり、キーパーソンにしてもう一人の超能力者の非理谷充。昨今よく取り沙汰される「弱者男性」のテンプレみたいなキャラクターなのだが、松坂桃李の演技が良かったためかあまり嫌な感じはしなかった。むしろ切なさなどをしっかり演じられていたと思う。シン仮面ライダーの時でも思ったが、松坂桃李は声優にも向いているのでは?
超能力を手にして自分を虐げてきた社会に復讐しようと活動。とはいえクレしんなのですることといえばスマホを爆発させたり、幼稚園を占拠して弁当を奪うなど、やってることは地味である。むしろ、後述するような背景があるからこそ過激すぎる手段には出られなかったのではないか、とも思う。
非理谷はいわば現実に居るような立場も意志も弱い人物。ティッシュ配りのバイトの最中で文句を言われるなど、そもそも運が悪い。推しのアイドルを支えとしている中で、そのアイドルが結婚するという追い打ちを受けた上に、逃走中の犯人と服装などが似ているために犯人扱いさえ追われる羽目に。
ギャグのように(実際ギャグなんだけど)不幸が降りてくる彼には同情せざるを得ない。そもそも今作では非理谷には悲しい過去があるからこそこのように同情させるためにこんな不幸にしているのだけれど。
そんな彼の境遇などに今作の批判は集中している気がする。「弱者男性を悪役にするなんて」など。しかし見たならばそんなことは無いと分かるし、そんな人たちに希望を与えたいと思っている作品だと分かる。
そして終盤の展開。予言の末に暴走し怪物となってしまった非理谷はもう一人の能力者であるしんのすけを飲みこむ。そこでしんのすけは彼の悲しい境遇を知ることになる。(しんのすけ自身はそこで出会う少年が暴走している怪人だとは分からないのだけど)
非理谷は幼い頃から両親が共働きのため独りぼっち。まさしく未来の無い、そんな家庭で育つ。さらには同級生にいじめられ、両親も離婚と悲しい境遇の中で誰にも信じることはできない、友達もいらない、一人で生きていくということを決める。
そんな彼の人生にしんのすけが介入し、(歴史に介入、というより彼の記憶そのものに干渉?)彼の悲しい人生の中にしんのすけという存在が足され、彼は結果として救われることになる。
ここで一番批判されているポイントである、自分の行いや未来への絶望に対するひろしのアンサーとして「誰かを幸せにしようと思えば自分も幸せになれる。だから頑張れ」というものがある。
正直、自分も映画館で聞いたときに「ん?」とは思った。
頑張れというのは無責任だし、何よりも非理谷が頑張ろうには限界があると言うのが今作の描写を見れば分かる。
そこをズバッと「頑張れ」と言うのは確かにグロいとも思う。だけど自分は考える中で「頑張れ」というのも悪くないのでは?と思った。
昨今「頑張れ」という言葉が無責任であると忌避されがちである。もちろんそうなのだが、本来その言葉は他人を鼓舞するためにあり、かつ相手を応援していると明確に示せる言葉なのだ。
非理谷の過去である運動会の玉入れのシーン、非理谷は「誰も応援してくれないし」と思って玉入れに参加しようとはしなかった。
つまり、「頑張れ」と言ってくれるような人が居なかったのだ。
そんな彼にとって「頑張れ」という言葉は単に無責任な言葉ではなく、何よりも自分が存在していると示してくれる言葉だし、何よりも欲しかった言葉であると思う。
だからこそ、自分は「頑張れ」という言葉が必要だし、選んだのだろうなと思う。
まぁ実際弱者男性総体にかける言葉としては不釣り合いな言葉なのは否めないが、非理谷充という人物は必要であったと思う。
例え頑張って結果が変わらなかったとしても、その言葉を言ってくれる相手が居るだけで違うし、大きく変わることもある。一番大事なのは「頑張れ」という“言葉”ではなく、言ってくれる”人”の存在なのではないだろうか。
不満点
・3DCGである必要性が無かった
正直これはどんな3DCG作品にも言えるし、つまらない不満だとは思う。
今作は3Dだからこその迫力のあるシーンもあったが、むしろ3DCGだからこそ表現の幅が狭くなっているのでは?と思った。
もちろん3DCGの質が悪いというわけではないし、二次元のキャラクターを上手く三次元に迎えられている。違和感のあるキャラクターはいなかった。
しかしこういう3DCGとなるともちろん予算も技術も限界があると思う。それが顕著だったのがロケーション。
街中や家、幼稚園を除けばおさかな遊園地の跡地ぐらい。これまでのクレしん映画だったら、色んなロケーションのシーンを見せてくれて見ているだけでも楽しかったのだが、後半部分はずっとおさかな遊園地での攻防。見ていて「早くシーン移行しないかな」と思ってしまっていた。
手間のかかる3DCGだからこそ、そのあたりは控えめにしたというか、バリエーションが持たせられなかったのかな、と思う。
・ヌスットラダマス二世
今作の黒幕とも言えるキャラクターではあるのだが、後半はほぼ味方に。
非理谷充よりも、このキャラクターの動かし方の方が問題があると思う。
まず味方である池袋の友人という設定。ギャグとしては良かったのだが、正直このせいでやれることの幅が狭まってしまったし、テーマ性自体も下がってしまったように思えた。
彼が非理谷をスカウトしたのは、令和転覆団として日本転覆を成し遂げ、新たな世界を作ること。ちゃんと悪役らしい思想があるし、そのために社会に不満を持つものを集めているというのは日本社会そのものへの投げかけにも思えた。しかし彼のそのムーブは池袋の友人ということが分かるや否や終始投げっぱなしで進んでしまう。
そのために、「お先真っ暗な未来に不満を持つ者たち」の描写が曖昧になっているし、最後のメッセージに反感を覚える人が増えてしまったと思う。
そのため、あらゆる要素が非理谷という個人に集中してしまい、社会全体ではなく個人に訴えるような形になってしまっている。
このヌスットラダマス二世を半端なキャラクターではなく、彼自身もしっかり世間に恨みを持つ存在であるとして悪役として描いていれば、今作の魅力はもっと跳ね上がっただろうにもったいないと思ってしまう。
最後に
しかし今作はとにかくテンポが良いし、ギャグもそこそこ面白いので最後まで楽しめる。ただ非理谷の過去パートが終盤の山場として来るので、あまり盛り上がらない作品だったな、という印象を覚えた。あのシーンを中盤に持って来るべきでは?と思った。
しかし久々に映画館で見たクレしん映画はとても良かったし、やっぱクレヨンしんちゃんの映画は良いなと思うぐらい、久々に映画館で満足できた。それにエンディングも良かったので、最後のエンドロールまで見てほしい。
でもオープニングの粘土アニメ欲しかったな……
来年の映画は?
普通に2D作品になる。恐竜が出てきたってことは、嵐を呼ぶ新恐竜か何かかな……